健康について 第4回
④ ストレスの正しい理解
最近は、生活習慣病の原因として日常生活におけるストレスが注目されるようになり、種々の生活環境ストレスに伴う反応は体に悪い出来事のように思われることがあります。しかし、ストレスを自覚したときに生じるストレス応答は、生命を守る大切な働きをしています。そこで、今回はストレスを正しく理解するとともに、生体で生じているストレス応答について考えてみましょう。
●ハンス・セリエのストレス学説
一般の方に「ストレスとは何ですか?」と聞いてみますと、「過重労働や人間関係の悪化などの自分に降りかかってきた刺激」との答えがよく返ってきます。しかし、医学的には外界からの刺激はストレッサーと呼んでいまして、ストレスとはストレッサーよって引き起こされた生体のさまざまな歪をあらわしています。
1936年、ハンス・セリエは「ストレスとは生体の中に起こる生理的・心理的な歪であり、このストレスを作るものが外界から加えられたストレッサーである」と発表しました。このストレス学説では、丸いボールを生体に例えた図がよく用いられます。ストレスのない状態(図1上段)では、ボールには歪は見られませんが、外界からストレッサーが加わりボールが押さえつけられるとボールは少し凹んで歪が生じます(図1下段左)。このボールが少し凹んだ状態がストレスと呼ばれる状態です。日常生活では仕事の忙しさ、気温の変化、人間関係などがストレッサーとなっています。
図1.ハンス・セリエのストレス学説を示す図 Stresscare.comより引用
私たちは、生活環境ストレスは①精神的ストレス(人間関係のあつれきなど)、②身体的ストトレス(長時間の残業、過度の運動など)、③物理的ストレス(紫外線、騒音、温熱環境など)、④化学的ストレス(ホルムアルデヒドなどの化学物質)、⑤生物学的ストレス(ウイルス、細菌、寄生虫など)などと、大別してとらえることが大切であると考えています。
●オオカミとヒツジ(ストレス応答は命を守る大切な反応)
生体のストレス応答を考えるときに、よく引用されているのがオオカミとヒツジのお話です。草原でヒツジがオオカミと出会ったとします。その時にヒツジは食べられてしまうのではないかと感じて強いストレス状態に陥ります。このヒツジの体の中でみられる反応こそが、生き延びるために必要なストレス応答なのです。
ヒツジはオオカミの動きを素早く察知するため、目を見開いていなければなりません。そこで交感神経の緊張が高まり瞳孔を開きます。さらに、オオカミから逃げるためには酸素や栄養をどんどん筋肉に送らなければなりません。そのために心臓のポンプ機能は高まり心拍数が増えます。酸素をより多く取り入れるため、気管も拡がります。
また、筋肉を動かすためにはエネルギーとなる糖が必要になりますから、肝臓ではブドウ糖のもととなるグリコーゲンが分解され、血糖値が上昇します。 逆に、胃腸が活動するとそのために緊急性のないエネルギーを割くことになるため、胃腸の働きは休止します。身体の全てのエネルギーが逃げることに集中できるように働くのが自律神経系の役割なのです。
ここで説明しましたストレス状態においておきているヒツジの反応は、命を守るために必要な防衛反応と考えられますが、ヒトが日常生活の中で感じているストレスに対しても同様の生体の反応がみられています。
●日常生活で遭遇するストレス
ヒトが種々の生活環境ストレス(ストレッサー)に遭遇した場合の心身のストレス反応を考えてみましょう(下図)。
精神的な負荷や過重労働、騒音、温熱環境などに遭遇した場合、大脳と視床下部はストレッサーによる刺激を認識し、①血管系の反応(内分泌系反応)と②自律神経系の反応の大別して2つのストレス応答が認められます。
①血管系の反応(内分泌系反応)は、視床下部・下垂体・副腎皮質系(HPA axis)の反応としてよく知られています。ストレッサーを認識した視床下部は、脳下垂体にCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)を放出し、その刺激を受け取った脳下垂体からはACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が放出されます。副腎皮質では、ACTHの刺激を受けて抗ストレスホルモンとも呼ばれているコルチゾールなどが分泌され、糖新生の促進、胃酸分泌の促進、免疫力の低下などが誘導されます。
また、②自律神経系の反応としては、ストレッサーを認識した視床下部は交感神経系の興奮を高めることにより、副腎髄質を刺激してノルアドレナリンなどの分泌を行い、血糖値の上昇、血管収縮、心拍数の上昇、血圧の上昇、瞳孔の散大、消化器運動の低下、闘争反応などが誘導されまして、「オオカミとヒツジ」でご紹介しました命を守るために必要な防衛反応に結び付いています。
●生活環境ストレスに伴う心身の健康状態
ヒトは種々の生活環境ストレスにより、適度の刺激を受けて脳・神経系の緊張とリラックスのバランスも保っています。
出典:日本経済新聞(平成22年11月6日)
通常、生活環境ストレスによる刺激 を受けますと、一時的な体調の悪化がみられた後に、ストレス状態を克服するための抵抗期(適応反応がみられる時期)がみられます。このストレス抵抗期の内にストレス状態が解消されれば、元の健康な状態にもどるのですが、ストレッサーが長期に持続する場合やその強度が非常に強かった場合には、生体は次第に疲弊して、不安や無気力、抑うつ状態に陥ってきます。
このストレス抵抗期の場合、自覚的な体調不良がみられない隠れ疲労と呼ばれるような状況も散見されまして、ストレス状態が長期間続いているとたえず交感神経の働きが優位になり、神経・免疫・内分泌系のバランスが崩れて慢性的な疲労状態に陥ってきます。したがって、疾病の予防に向けてはこの段階で早期に発見して対処することが大切です。
医師:倉恒弘彦(くらつね・ひろひこ)
プロフィール
大阪市立大学医学部客員教授として、疲労クリニカルセンターにて診療。1955年生まれ。
大阪大学大学院医学系研究科 招へい教授。
日本疲労学会理事。著書に『危ない慢性疲労』(NHK出版)ほか。